■ 109.「緋色の心」
「でも……なんだかちょっと、恐れ多いわね」
アリスさんは小声でそう呟くと、何が面白いのか静かに笑いを押し殺してみせる。
「ふぇ? な、何がでしょう……?」
「だって『天使』といえば神様の遣いで。それなのに私はその『天使さま』をこんな風に押し倒して、いつでも好き勝手に愛せるように言葉で戒めてさえいるのだもの」
「……そ、その『天使さま』って呼び方はやめてくださいよぅ」
「ふふっ、ごめんなさいね」
くすくすと、アリスさんがあまりに可笑しそうに微笑むので。天使もつられるように笑ってしまう。
『天使』だなんて……例え同じ読みであっても、天子からは一番遠い言葉のように思えた。異変を起こしたときにだって、誰にどんな迷惑を掛けるかさえ考えもしなかった私は、本当に身勝手で。愛しているアリスさんの前でだけは、不思議なぐらいにその気持ちに正直になれてしまうから、こんな口調や性格になってしまうけれど。アリスさんの前でなければ、きっとあまりに我儘な自分が姿を見せてしまう自分には『天使』だなんて、あまりに遠い言葉のように思う。
それに、絶対に私は『天使』なんかに憧れたりしない。
「私は、神様に仕えたくなんて、ちっとも思わないです」
「……天子」
「はい、私は『天子』ですから。だから……仕える相手だって、自分で選びたい」
じっと、アリスさんの瞳を見つめながらそう天子は言葉にする。
もちろん仕えたい相手っていうのは、目の前のアリスさんに他ならない。その気持ちは、きっと視線でアリスさんに伝えることができると思ったから。
「ああ、そうです。――では、こういうのはどうでしょう?」
「え、ええ。何かしら?」
「私はアリスさんの人形になりたいのです。ですから……何か私に、アリスさんが名前を与えて下さいませんか?」
「……私、が。あなたに、名前を……?」
こんな突拍子もないことを口にしたら驚かせてしまうかな、とは天子自身も思ったのだけれど。
実際、天子の提案したことはあまりに予想外のことだったらしく、アリスさんは目を丸くしながら驚いてみせた。
「アリスさんはやっぱり、人形を作られたら名前を付けるんですよね?」
続けるように訊いた天子の言葉にも、すぐには反応できなかったらしくて。十数秒もの間を置いてから、アリスさんは「え、ええ……」とはっきりしない口調で答えてみせる。
「名前、ね。……ええ、付けるわ。それが貰い手が決まっていない人形で無ければ、だけれど」
「貰い手が決まっている人形には、付けないんですか?」
「ええ。貰い手が決まっているなら、人形の名前は貰い先で付けて貰えるでしょうし。……それに、やっぱり名前を付けてしまうと、私が人形に対して愛着を持ってしまうから。手放しづらくなってしまうのよ」
「なるほど……」
ごく少ない限られた量ではあるれれど、アリスさんの人形は市場に流れることがあると。そう天子は、以前に鴉天狗の新聞屋から聞いたことがある。何でも、幻想郷随一の精巧な細工で作られた人形には『愛されれば生命が宿る』との風説さえ付いていて、人形が卸される人里に住まう人間達に限らず、幻想郷中の妖怪も含めたコレクターから破格の買い手が付くらしいとか。
思えば、この屋敷の中に溢れかえるほど無数に存在する人形のどれにも、それと同じだけの価値があるわけで。アリスさんって本当に凄い人なのだなあ、と改めて天子は感心してしまう。確かに人形達はどれも凄く精巧に作られていて、作るのにも大変な時間が掛かるのだろうし……愛着だって、湧かない筈がないのだろう。
「……そんなことを聞いてしまっては。尚更、私はアリスさんから名前を頂けたら、と憧れてしまいます」
「ど、どうして?」
「だって、私も名前を頂いて。……末永く、アリスさんの手元に置いて頂きたいと思いますから」