■ 34.「緋色の心」
朝ということもあってか、お布団から出てしまうと裸の天子には部屋の冷たい空気でさえ少し堪えてしまう。ベッドの傍に添え付けられた小さなテーブル、その上に準備された自分の為の衣服と下着とをみて……自分のあまりの短絡さに、思わず大きな溜息を吐いてしまう。
本当に身ひとつだけで乗り込んできてしまった天子は、服の替えも下着の替えも持ってきてはいなかったのだった。できるだけ迷惑を掛けないように、そして少しでも一緒に住んでみて、あの人のお役に立てたなら――そうした想いだけでアリスさんの元へと乗り込んできたというのに、結局こんな形で余計な迷惑ばかりを掛けてしまっている。
勢いの儘にとはいえ、ここを訪ねてきたこと自体を後悔する気にはなれなかった。アリスさんの元を急に訪ねたことも、住まわせて欲しいだなんて無茶を言うことも、どちらもひとりの生活に慣れているアリスさんには迷惑な話でしかきっとなかっただろうとも思う。それでも……愛して頂いた夜が嘘になるわけではないから、自分がこうして訪ねてきてしまった無茶な行動について、天子は何一つ後悔したいような気にはなれなかった。
ショーツを脚に通して、シャツに上体を通す。布地が擦れる度に、その冷たさに身震いがする思いだった。年中を通して仄かに温かい天界とは違って地上の冬はこれほどにも寒く、これから毎日こうした環境で生きていかなければならないのかと思うと少しだけ意志が挫けそうにもなったりする。
ちょっとだけ心は消沈してしまうけれど、そうした弱気もすぐに吹き飛ばされてしまう。下着を身につけたあと、アリスさんが用意して下さった衣服に袖を通せば、やっぱりそれだけで倖せな思いでいっぱいになってしまうからだ。感じられるたくさんの倖せは、それだけで心や躰をぽかぽかにしてくれる――昨日の夜からというもの、天子はそれを正しく理解していた。
部屋に置いてある鏡台の立て鏡に上半身を映してみる。天子の身体には少しだけ大きめの、簡素な水色のドレス。昔使っていたというこの水色のドレスは、確かにアリスさんによく似合いそうな色合いで。きっと綺麗な金色の髪にも映えるのだろうな、と天子は静かにそうした想像に心を馳せる。
青い髪に、水色の服。天子の髪色に近すぎる色のドレスは却って互いを打ち消し合ってしまうようで、お世辞にも似合ってはいないように思う。それでも天子はこの服を身につけた姿を鏡に映してみて、すぐにそこに映る自身の像を好きになることができた。アリスさんの水色のドレスに包まれた自分の姿は、あまり華やかではなかったけれど。こうして水色のドレスに包まれていると……なんだか自分の躰までもが、アリスさんのものになれたかのように天子に錯覚させてくれるからだ。
それに髪もドレスも近似色ばかりで纏められた自分の姿は、華やぎや人間味が無い代わりにどこか人形みたいなようにも見えて。鏡に映す自分の姿に、思わず当然とした溜息も漏れてしまう。
(いっそ、アリスさんの人形になれたらいいのに――)
きっとそれなら、ずっと何の遠慮もなくアリスさんの傍にいられるのに。
まるで人形みたいな、鏡に映る自分の姿を見ながら。天子はそっと、そんなことを思うのだった。