■ 25.「泥み恋情09」
夜遅くになってから。コンコン、と静かなノックの音が自室に響いてきて。
殆ど手にさえつかなかった勉強を諦めて、透華はひとつ溜息を吐いた。
「……どうぞ」
「失礼致します」
簡単な一礼だけをしながら部屋に入ってきたのは、もちろんはじめだ。そもそもこんなに夜も更けた時間になってまで、透華の部屋を訪ねることが許されているメイドなど彼女とハギヨシを置いて他に居はしない。ハギヨシは自身の性別を考慮してか呼ばない限り深夜に部屋を訪ねてくることなんて絶対にしないから、こんなふうに普通に訪ねてきてくれるのははじめのほうに決まっていた。
はじめが部屋を訪ねてくれた用件は判りきっている。……けれど、自分で追わねばならない責だとわかってはいても、なかなか透華のプライドはそれに従順である自分を許すことができない。それがフェアではない、と判ってはいるのだけれど。
「……狡いよ、透華」
「そう、ですわね。……狡いですわね、私は」
はじめに指摘されて、透華も苦笑するしかない。透華のほうから許すことができなければ、はじめもそれを口に出して望むことなんてできないのだろう。――龍門渕の家にあるときはメイドであれと、十二分に仕込まれているのだから。
はあっ、と大きな溜息をひとつ静かに吐き出す。諦念が少しだけ増して、やっと透華は少しだけ自分の弱さを認めることができるような気がした。
「今日の麻雀お見事でしたわ、はじめ。約束通り一位のご褒美をさしあげますわ」
「うん、もちろんボクもそれを貰いに来たんだけど。……でも、それだけじゃないよね?」
「……ええ、まあ」
「透華は自分が一位になった時に、ボクにご褒美を強請るよね? ……だったら、ちゃんとボクがラスになったときと同じように、透華もラスになった罰を受けるべきじゃないかな?」
「………………やっぱり、そうですわよね」
判っている。部活での勝敗の戦績を元に、私たちの間で『ご褒美』や『罰』をやりとりするということも、元はといえば透華の方が言い出したことなのだから。だというのに透華がそれを遵守しないのは、明らかにアンフェアというものだろう。
実際、透華にはなくてもはじめがラスを引くことなんて何度もあったし、そのたびごとに透華は『罰』を建前にはじめのことを求めてきたのだ。なればこそ今回初めてラスを引いた透華が、いつものはじめのように『罰』に甘んじるのは当然の義務と言えて、それを求めてくるはじめの意志もまた当然の権利でしかなかった。
「……そんなに、ボクにされるの、イヤかな?」
はじめが少し悲しそうな顔をして訊いてくる言葉に、透華はすぐに首を左右に振って否定する。
「そうではないのです。……そうではなく、私がはじめにしてもらうことを全く『罰』だと思えないことが、ちょっとどうかと思うのですよ」
「……ボクだって透華にして貰う時、それを『罰』だなんてちっとも思ってないよ?」
「そう、なのですか? でしたら私も……素直に、はじめに甘えてしまってもいいのでしょうか」
はじめがそう言ってくれるのなら、そもそも私たちの取り決めは『賞罰』にさえなりはしないのかもしれなかった。
一位のご褒美は、相手に『何かひとつ好きなことを望める』こと。最下位の罰は、相手に『愛されることを許す』こと。はじめの気持ちは知っていたのだし、透華の方もはじめに対して特別な感情を抱いているのだから……こんなもの『賞罰』ではなく、ただの『建前』でしかないのかもしれなかった。
「……もう、止めにしましょう。こんな賭けは」
「い、いまそれを言い出すのは狡くないかな、透華」
「ああ、ごめんなさい。そういう意味ではなく……私たちは別に、お互いを求めるのにこんな建前なんて必要ないのですから。何も麻雀を理由にしなくてもいい、ということです」
透華の言葉に、はじめの顔がみるみるうちに紅に染まっていく。
ですから、と透華はさらに続ける。
「私がはじめに抱かれるのは、あくまで自分の意志です」
「……意地っ張り」
「ええ、なんとでもおっしゃい。……私ははじめのことが好きですから、あなたにだけ許すのですよ」
嬉しそうに暫くはにかんだあと、はじめの小さな唇が唐突に透華のそれに重ねられてくると、その先の言い訳めいた言葉も全部封じこめられてしまう。
透華はただ、普段自分が想いの儘にはじめを求めるのと同じように、好き勝手に透華自身を求めてきてくれる積極的なはじめの指先に。静かに身を任せているだけで、どんなにも幸せになれそうな気がした。