■ 202.「泥み恋情」
「あら、いい匂い」
「……いま封を開けたばかりなのに、鋭敏だこと」
図書館で本を読んでいるアリスから数メートルも離れない程度の少しだけ離れたテーブルで、いつの間にか咲夜が新品のボトルからコルクを抜いていた。事前に「お茶とお酒のどちらがいい?」と訊かれていたし、アリスから「どちらでも構わないわよ」と答え返しても居たから、お酒を供される可能性は十分に承知していたことではあったのだけれど。
いつものワインの香りではない。僅かに鼻をつく甘く爽やかな香りの正体は、見確かめなくてもはっきりと判るぐらいに明瞭な熟成された林檎のそれだった。目新しさから来る興味と、それにお酒そのものへの嗜好もあって、読みかけの本もそのままに思わずアリスが席を立ち様子を見に来ると、そんなアリスを見て咲夜がくすりと小さく微笑んだ。
「去年も飲んだのだけれど、ここのはなかなか悪くないわよ」
「ふむ、咲夜にそこまで言わせるなら、確かに期待して良さそうね」
酒飲みこそ多い幻想郷だけれど、とりわけ『味の判る友人』となれば限られる。酒の嗜好が近いこともありアリスにとって咲夜は貴重な酒飲み友達であるのは疑う余地もなく、咲夜が勧めてくるお酒にハズレを見たことは今までにただの一度さえ無かった。
そんな咲夜が太鼓判を押す林檎酒ともなれば、どうして機体せずにいられるだろうか。果実酒の中で林檎酒はあまり好きな分類ではないけれど、咲夜が勧めてくれるものともなれば話は別だった。
「テイスティングを、お嬢様」
「ありがとう」
鮮やかすぎる香気は良い状態で密封され、熟成されてきたことの証左。香りに惹かれるように透き通るようなお酒に口を付ければ、たちまち香気は口腔の内までもを満たす。
林檎酒と言えば尖るような少しきつい味わいがあまり好みではなかったのだけれど、このお酒は甘い原酒で満たして作ったのか、果実の味わいと香気だけを上手いぐらいに内包していて加減のよいものに仕上がっていて。甘さと酸味が作り出す美味しさを舌で転がせば、それだけで酔えそうな程に深く味わいに浸ることさえできてしまいそうだ。
「確かに、これは美味しいわね。十分に期待を裏切らない出来だわ」
「それは何よりだわ。折角だし、私にも一口貰おうかしら」
「……え?」
咲夜はアリスの脇に傅くようにすると、ぐっと後頭部に回した両腕で引き寄せるようにしながらアリスの唇を勢い良く奪ってくる。
驚きの余りに何も考えられなくなったアリスの口腔から、零れるように林檎酒が唇を介して咲夜の方へと伝っていく。
――そこまできたことで、ようやく咲夜の狙いを把握してアリスはハッとする。気づいた時には時既に遅く、アリスが舌で転がして堪能していたお酒は総て咲夜に奪われてしまっていて。しかも口吻けながら瞼さえ閉じることなく、ごく近い距離でじっと見つめられたことで却って怯まされてしまうのはアリスのほうだった。
「……………………お、お味は?」
「アリスの味がするわ」
「バカっ!」
咲夜にキスをされること自体は嫌でなどありはしないのだけれど。
彼女はいつも不意打ちでばかり唇を奪うから、それだけは少しだけ不満だった。